「余命宣告されたら残りの人生どんな生き方をしますか?」
今回はこんな質問を貰いました。
普段こんなことを考える機会はあまり無いので、試しに掘り下げてみます(笑)
ただ、僕の残りの人生の生き方をツラツラ書いても面白くないので、
とりあえず[生きるとは何か]から考えてみようと思います。

人って必ず一度は
・自分の生きる理由
・自分の存在価値
・自分は何者なのか
・自分の行く末
などを考えますよね。
ちなみに巷の成功哲学セミナーなどではこれらの疑問に対し、
「あなたは特別な存在です!」
「あなたには元々生まれ持った価値があります」
「人生のミッションを見つけましょう」
などと、キラキラ、フワフワした耳障りの良い言葉を並べますが、
この哲学的な疑問に対する僕の答えとしては、
別に生きる理由なんて無いし
そもそも存在価値なんて無いし
自分が何者かなんて知らん
という感じです(笑)

まぁ、夢も希望もない答えですが、
生きる理由なんて無く、存在価値も無いのが人間の初期設定だと思ってます。
ただ、他の動物と違って人というのは
自分で自分の存在価値を完璧に感じれなくなると自ら死を選ぶ生き物です。
自殺をする人の99%は自分がこの世にいる価値を見出せなくなった人達じゃないですか?
まぁ、たまに
「私はついに神と繋がったから解脱する!」とか言って逝ってしまう意味不明な人もいますが。

で、
人は動物の本能としては「生きよう」としますが、
・元々は存在価値なんて無い
・存在価値が無くなれば死を選ぶ
という性質を持っているので、ここで矛盾が生まれる訳です。
本能としては生きたいけど、存在価値が無いから生きるのに苦しいと。
ちなみに、人生をこじらせてる人のほとんどはザックリまとめると[本能としては生きたいけど、存在価値が無いから生きるのに苦しい]に集約されます。
じゃあその存在価値ってどこからきてるのでしょう?
それは幼少期に両親からどれだけ愛情を受け取っていたかです。
ここで重要なのは[両親がどれだけ愛情を与えたか]ではなく[本人がどれだけ愛情を受け取っていたか]という所です。
側から見たら可哀想になるくらい厳しい育て方でも、育てられた本人が愛情を感じていれば良いということです。
逆に両親がたくさんの愛を注いだつもりでも、本人が受け取っていなければ意味がありません。

とまぁ、こんな感じで通常通り両親から愛情を受け取っていれば、存在価値としては自分の中でプラマイ0くらいになる訳です。
そして人には成長欲求というのが元々備わってるので、途中から更に自分の価値を高めたくなってきます。
そうすると存在価値がプラマイ0の状態からプラスにもっていきたくなるんです。
そうなってくると,何となくレールの上に乗っかって生きてきた人が、
人生の途中から
「このままで良いのだろうか?」
「こんな必死に働いて何のために生きてるのだろうか?」
などと考え始めます。

もしくは両親からの愛情を上手く受け取れず、自分の中で存在価値がマイナスになっている人は、自分の存在理由を求めて色々と悩む訳です。
つまり自分の存在理由や存在価値を考えるパターンは2つあって、それが
・今まで何となくレールの上に乗っかって生きてきた人が物足りなさを覚えた時
・両親から愛情を上手く受け取ってこれず、自分の中で存在価値がマイナスで、それをプラマイ0に持っていきたい時。
です。
じゃあ一方で人生が充実し、上手くっている人というのはどんな人でしょう。
それは
生きている途中で[自分が成長できて存在価値を感じれる何か]を見つけた人です。
例えば100kgを超える太った女性がダイエットをして60kgまで体重を落としたとします。
すると男性からはアプローチされるようになり、周りからはダイエット方法を教えて欲しいと求められるようになり、ダイエット講師として生きていくようになりました。
この場合、自分が綺麗になればなるほど求められ、その方法をシェアすればするほど人からは感謝され、自分の価値は高まります。
これは別に何でもよく
・ゲームやりまくって実況動画を流していたら再生回数が物凄く伸びて「もっとアップして欲しい」と求められた
・全国のラーメン食いまくっていたら、オススメの店を教えて欲しいと色んな求められ、教えたら感謝された
・ナンパしまくってコミュニケーション極めていたら、やり方を教えて欲しいと言われ、教えたら凄く喜ばれた。
こんなのでも十分なんですよね。
こーいう何かを見つけた人が、その道を極めることで自分の存在価値を高め、人生を充実させていきます。
ただ、ここで注意が必要で[生きている実感]の方向性を間違えると頭のオカシイ奴になります。

こーならないためにも存在価値を感じるにはポイントがあって、それが
・人から感謝されること
・人から求められること
です。
こーいうのを見つけた人が[生きる理由]や[自分の存在価値]を見つけ、力強く生きていくのでしょう。
まぁ、前置きが長くなってしまいましたが、
結局何が言いたいのかというと、
生きる理由や存在価値なんて後付けだから、自分の中で悩んで探し求めても意味ない
ってことです。
なので、
悩んでいる時間があったら、何か人の役に立つことにチャレンジした方が人生お得です。
でも、そもそもやりたいことなんて無いし・・・
そんなやりたいことが見つからない方はこちらの記事を参考にしてみてください。
「私には価値が無いんだ…」
「誰も求めてはくれないんだ…」
「誰も認めてはくれないんだ…」
これで悩む時間が勿体無いですよね。
これが初期設定であり、普通なんですから。
みんな最初は価値なんて無いんですよ。
でも人は自分の存在価値を感じれないと死を選ぶ生き物であり、
その状態は「生きようとする本能」と相反して苦しいので、
人生の中であらゆる手段を使って自分の存在価値を感じようとする訳です。
その存在価値を感じる手段として、
僕はこのように情報発信やビジネスをすることで、
人の役に立とうとしているんです。
てことで、僕の中で結論としては
生きるとは「自分の存在を感じ続けること」
ですかね。
まぁ、存在を強く求めると、一歩間違えれば犯罪を犯して世間にインパクトを与え、自分の存在を感じようとするヤバい人種になる場合もありますが。
で、冒頭の質問である
「余命宣告されたら残りの人生どんな生き方をしますか?」
に対しては、
「自分の存在を感じられることをやり続けます」という回答とします。
だいぶテーマが壮大になりましたが、
僕は「生きる」ということに対して、
このように考えてます。
では〜。
※お知らせ
ハピネーションではLINE@で人間理解についてお伝えしています。
今回のような
・「生きる」ということに対する明確な自分の中での意味
・「存在価値」に対する明確な基準
など、
今回の回答が正解という訳ではありませんが、
こういった哲学的な問いにも自分なりの回答を持つというのは生きていく上で非常に重要になります。
これが人生の軸となり、生き様となるからです。
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